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ムッシュー デルフィノ

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昨年、帰省前から修理待ちだった、寝室窓の鎧戸。
巻きおろし式で、くるくると内側に下がっているバトン
を回すと、上がったり下りたりする。
それが、上がったきり、下りなくなってしまって、去年
職人さんを頼んだ。それが、デルフィノさん。

フランス語の話し方、イントネーション、フランス人
より、頭の小さい、頭髪の色が薄い感じの人で、
「生粋のフランス人ではないんだろうな」
と感じていた。

鎧戸の壊れた部分はすぐはずされたものの、メーカー
に頼んでも、2週間以上かかるとのことで、日本帰省
までに直らず、こちらにもどってきてから、また来て
もらった。結局、2ヶ月以上かかっていることになる。

風邪でギャルドリーを休んでいた息子もいて、デル
フィノさんの仕事が済みそうなタイミングで飲み物を
持って行ったら、彼の仕事を興味深そうに見て動か
ない。
鎧戸の状態など、話をしていたら、自分の話をして
くれた。

「僕は、この子くらいの年から、お父さんに色々教
わった。こんな作業も、ずっと近くで仕事を見て育
ったから、自然に覚えた。
運転も、膝に乗せてもらって、教えてもらったよ。
4歳のときからね。10歳から、お父さんの仕事の
手伝いで、森で木を切っていた。幹をある程度切
ったあと、木を倒すのが僕の役目で、ある日、あや
まって自分も倒れてしまって、チェーンソーで切った
跡も残っている。幸運にも、途中で止まったから、
大事にはならなかった」
と、腕の内側にある傷を見せてくれた。

「アルプスの山の中で育ったから、雪が4m積もり、
家がすっぽり隠れてしまうこともあった。でも、山の
生活はいいよ。すごく静かで、夜は鳥の鳴き声しか
しない。退職後は両親の家に戻るつもりだ」

そして、私に「フランス、パリは好きですか?」と聞か
れたので、
「以前は学生で来ていたけど、今回は家族とだから・・・」
というと、

「子供がいると何もできないからね。25歳で僕がパリ
にきたときは、フランス語は分からず、話もできなかっ
た。
最初はレストランで働いて、そこでフランス語を覚えた。
一人きりだったから、何か問題があっても、聞く人も、
助けてくれる人もいなかった」

私は何も言えずにうなずいているだけだった。
私も、1人でやってきたけれど、仲介の人はいたし、
語学学校には日本人もいた。フランス人家族の家の
中のステュディオだったから、いざというときは、声を
かけることも可能だった。
イタリア語、ドイツ語、英語は話せたけど、というデル
フィノさんは、オリジンがスロバキアだと言った。
食べるために、たった一人で言葉も分からない場所
に住むというのは、どんなに孤独で、必死なことだろう。
デルフィノさんのフランス語は、私には分かりやすくて
聞きよい。何十年住んでいても、発音も話し方も自己
流の人は沢山いる。話し方にも人柄がにじんでいる。

こういう人に会うと、すぐに語学が学べて、学ぶ余裕
があって、ただ勉強するために海外にくることのでき
る日本って(もちろん、それも人によるだろうけれど)、
やはり恵まれた国だと感じる。

デルフィノさんは、いつも礼儀正しく、最初と最後の
挨拶のとき、握手をしてくれる。配達や、修理にきた、
おそらくフランス育ちだと思われる、オリジンはさまざま
な人がいたけれど、そういう風にするのは彼だけだ。

「息子さんは、ちゃんと躾されてるね。」
私が物をとりにいっている間、動かずじっと見ていた
息子をほめてくれた。
「僕にも、22歳と、18歳の子供がいるけれど、もう話
もしない。今を楽しんでおいた方がいいよ」

周りのフランス人も、そうやって、子供が小さいうち、
大変だけど、かわいいから、楽しんでおけ、という。
でも、デルフィノさんが言うと、違う響きがある。彼の
子供さん達は、お父さんの今まできた道について、
知ってるのだろうか。デルフィノさんは、私にしてくれ
たような話を子供さんにもしたのだろうか。

私がフランスで知り合ってお世話になった人の中にも、
国を捨てて、密航し、生きるか死ぬかの中、違う国で
生き、自分の店を持ち、そんな過去を思わせないよ
うな明るくて、強い人がいる。
そうかと思えば、出産時の公立病院で、少しだけ聞き
たいことがあるのでいいですか、と受付で順番を待っ
ていた黒人女性に頼んだら、反感のこもったような、
あきらめたような、悲しみがいっぱいつまったような眼
でじっとにらまれたこともある。何も答えず、ただ非難
するように見ていた輝きのない大きな眼が忘れられな
い。

私は、ただの東洋人なんだな、と思わせられるふとした
瞬間は、フランスで生きていると、ときどき訪れる。
by aplusfleurs | 2011-02-04 23:11 | おまけの話 | Comments(0)

フランスでの生活、お花の話を中心に、のはずが、最近は育児日記に;2009年サンクルーへ引越し、2014年3月夫の転職により日本へ。2010年10月フラワーアレンジメントのフランス国家審査員資格合格♪


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