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魔法のコトバで

今日はとってもいいお天気♩
こういう日はお洗濯がいっぱいできて嬉しいです。何より、身体のうちから
元気が出てくるというか、少々寝不足でも、イヤーな感情に支配されていた
こととか、あれは何だった?というくらい、マイナスの気分に影響されない。
人間は生き物、動物や植物と変わりないなあ〜といつも思いますが、最近
ますます強く、太陽があれば大丈夫!と感じます。

さて、最初は、朝にくしゃみを連発していた花粉症、日によるものの、
夜寝る時の鼻づまりは1日だけ、あとはまあ年中アレルギー鼻炎気味の私、
いつもよりちょっと鼻かむかなあ?という程度になりました。
昨年、薬をやめた時、なり始めはやはり頭が重かったり、風邪のような
身体のだるさや微熱が多少あったように覚えているので、その初期症状が
なくて、

「あれ?今年、去年より花粉多いって言ってなかったっけ?」

といつもは花粉の症状が出る2月頃に不思議に思ったくらいなので、昨年より
症状は軽くなっているようです。
(追記‥昨年のブログ、見返してみたらかなりの差です。やはり、格段に楽になってる!)

時々目がかゆい、耳の中がかゆい‥という時もありますが、そういう時は、氣
の先生に教えていただいた魔法の言葉。

「花粉ちゃんありがとう」

を口に出して言います。

でも、気づきました。心から思ってないと、あんまり効かないみたい。
花粉、植物にとって、ひいては、人間にとっても作物を作ってくれる、大事なもの。

「春は花粉のせいで、大変!」
「花粉さえなければ、かゆくないのに〜」

なぞとチラとでも思っていたらダメなよう。
というのも、無意識のうちに、花粉が多いでしょう、という予報の時は、自分の
分だけ洗濯物も家干し、他の洗濯物も入れる時に、パタパタと花粉(ホコリ?)を
払って入れていたんですよね。

そして、外出時にはマスク。(これは、お化粧きちんとしてなくても隠れるので便利
ということもある)

よく考えてみれば、「花粉ちゃんありがとう」になってないよなー、と。言動一致
でないと、魔法の言葉も効かないだろうなあ、ということで、無意識にしていた
対花粉防御の行動をやめました。そして、気持ちを込めて
「ありがとう」

で、昨日かおとといに始めて、昨夜は夜寝る前に目薬さすのを忘れるくらい、目は
かゆくなく。。今朝も大丈夫。鼻だけは、朝にくしゃみが少し出てますが、数日前
4回連続くしゃみだったのが、1〜2回のみなんで、軽くなってます。
耳の中も大丈夫。

「ありがとう」

は、以前もええ?!ということがあったりした時に、イヤなことやものに対して、
繰り返し、思い続け、口に出して言い続けたら、最悪な事態を回避できた実感が
ありました。

何かをしていただいたり、お世話になった時には、必ず言っているつもりですが、
何もなくても、いろんな場面で口に出すと感謝の気持ちがより深くなります。
言霊、というけれど、この言葉は魔法のコトバ。
昔ファンだった(今もかな)スピッツの曲にも「 魔法のコトバ 」ってあったな。

by aplusfleurs | 2019-03-08 15:21 | おまけの話 | Comments(2)

梅の花がいっぱい〜我孫子さんぽ〜


今日は気持ちの良いお天気でした。
1日良い日和だということで、ご近所散歩に出かけました。

最初にパン屋さんで昼食のパンを買い、手賀沼へ。沼の見えるベンチで
白鳥がいるねー、と息子と話しつつ、サンドイッチやソーセージのパンを食べ、
そのあとに図書館に併設されたカフェでお茶。
図書館で本を探したり、読んでみたり。

そのあと、少し遠回りして、今まで知らなかった嘉納治五郎さんの旧別荘への道
を辿り(階段だけ復元されてるようです)、嘉納治五郎の甥の柳宗悦の元のお家
の前を通り‥

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その向かいに、見晴らしの良い公園を発見。

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こんな公園があるなんて、知らなかった〜。高台にあり、手賀沼を望めます。
(追記‥こちらが、嘉納治五郎さんの別荘地後でした💦)

その後、今まで通ったことのない道を通り、色々発見。
昔のご近所さんのお子さんの保育園とか、通りから入ったところにあるお寿司や
さんとか。古いアパートの一室が火事になって真っ黒のままなのを見たり。

立派なお家のお庭に、暖かい日差しの中で、たくさん梅が咲いていて、青い空を
バックに、お花見を堪能しました。我孫子には大きなお庭がある立派なお家も多く、
梅の木も立派で。。これはその一部。最後は馬酔木です。

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今まで、脇の道を通るだけだった香取神社にも入らせていただき、簡単にご挨拶。

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帰りに、可愛い色のパンジーやプリムラが置いてある小さなお花屋さんで4鉢ほど
購入して、満足して帰りました。春色の寄せ植えをしたいと思います。

3月初っ端が、ちょっと重い話だったので、今日は息抜きのブログです。

by aplusfleurs | 2019-03-02 23:13 | 家族・生活 | Comments(0)

二人の父

2月の初旬、悲しい知らせが届いた。
義理の父が亡くなった。夏の帰省の時にも、気分の良い時にベッドを離れる
くらいで、寝たきりに近い状態ではあったのだけれど。。。

私の父も2年前の2月にこの世を去ったので、2月は二人の父の命日がある
ことになってしまった。2日違いというのも、なんだか偶然ではない気もする。
自分の誕生日月ではあるけれど、私にとっては、襟を正すというか、厳かなもの
を感じる月になってしまった。

義理の父より、私の父の方がずっと若かったので、フランスから日本に居を移す
ことになった時、夫に「本当にいいの?簡単には帰れないよ」と何度も確認した。
(日本への移住は夫の決断で、相談はなかったから)
「僕が幸せなら、お父さん(義父)もそれが幸せと言ってくれる」と、彼よりの
解釈でいたのが、確信なのか私には判断がつかず、実際に私自身がフランスに
住んでみて、何事かがあってもそうそう移動できないことを肌身に感じていたので
心配でもあった。

実際、義父は夫に頻繁に会えなくなって、寂しかったと思う。
身体が弱ってから何度かお呼び出しがあり、緊急で帰省したこともあったけれど、
それは多分、心細かったりこれで会えなくなったら‥という心配から、義母が強く
言ったせいもある。実際、何度も持ち直して、最近は眠る時間が長くなっていた
ものの、食欲もあるとのことだったので、クリスマスに帰省しなかったことを
気にしつつ、春休みまでは大丈夫じゃないか‥と思っていた。

90歳を過ぎた義父は、戦争で生死の境目も経験し、パラシュートで降下したせい
で背中を痛め、極寒の地で戦ったときの凍傷の後遺症で、痛み止めやら、足の冷え
がつきまとっていたらしいが、何種類も薬を飲んで症状を抑えていることも、身体の
具合が悪いことも、一切漏らしたことはなし。いつも、寒がりの私が「寒くないか?」
と部屋まで確かめに来てくれるような、思いやりのある人だった。
どんな時でもダンディーで、家にいてもカジュアルな格好でなく、パリッと決まって
いた。そして、息子と話すときは最高に嬉しそうで、夫に対する愛情がこちらまで
伝わるようだった。

義父の一族はみんなそうだったらしいけれど、かなりのこだわりや厳しい見方をする
ことがあるにもかかわらず、いつも誰にでも優しかった(特に女性に!)。
優しいだけでなく、私が子供を産んですぐ、

「君は、母であり、妻である前に、君個人なんだよ」

と言ったのも彼だし、私の発音ができない単語を練習させるようにしたのも彼だった。
きちんとフランスの精神とか、大事なことを伝えようとしてくれたのだと思う。
フランスの慣習に慣れず、できてない嫁だった私に、そうした教えをしてくれることは
あっても、厳しかったり嫌味だったりしたことはなく、いつも変わらない態度で接して
くれた。

結婚してしばらくした時、しみじみと義父が(義母もだけれど、義父の年齢は一面的な
見方をしてもおかしくない世代だから)こういう人だったから、私は夫と結婚できたの
だな、と思い至った。自分の浅はかさ、考えの至らなさがやっとわかった気がした。

だから、義母からの電話があったとき、ショックで、涙で声にならなかった。
最後は本人の希望で、発作があっても病院には行かず、ずっと家で過ごせたのは、義母
の精神力とヘルパーさん達を雇う経済力があったおかげだけれど、日本の現状、私の父の
最期とを思い比べ、幸せなことだったと思う。
病院へ献体をすると決めてあったので、夫がついたときにはすでに義父の身体はなく、
無宗教だったので、お葬式もない。

私も父の最期にはいられなかったけれど、お葬式の時まで身体があるというだけで、
最後に会えた気がしたけれど、夫がどこまで割り切れていたのか、、一言も会えなかった
ことについては言わなかった。いつも感じるけれど、そういうところは、フランス人の
合理的精神からなのか、どうなのか、、情緒に流されることはない。
すでに覚悟を決めていたのだと思うけれど。


父も、義理の父も、いなくなってしまってからの方が、ふとした拍子に言葉や表情が
よみがえる。
直接のものでだけなく、間接的に話していたことなど。
亡くなって初めて、もっと聞いておけばよかった、と思う。



by aplusfleurs | 2019-03-01 23:15 | おまけの話 | Comments(2)

フランスでの生活、お花の話を中心に、のはずが、最近は育児日記に;2009年サンクルーへ引越し、2014年3月夫の転職により日本へ。2010年10月フラワーアレンジメントのフランス国家審査員資格合格♪


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